一期一会 ~命の価値観~
皆様、こんにちは
一年、あっという間です。
昨年の11月、はじめて小川裕世先生の宇宙茶室に参加させていただき、究極の一服を頂戴いたしました。私にとって衝撃だったのは小川先生のお点前をされる姿でした。凛とした美しさ、悠久の時を感じさせる優雅さ、そして、その後ろにある伝授の凄さ…言葉にならない凄い何かを感じました。
茶道を志した者として、あ~こんな素晴らしいお点前で、しかも人を幸せにできるならどんなに素晴らしいかと感動と共に願わずにはいられませんでした。
そこから小川先生の愛により、【宇宙茶室伝授】が生まれ、その伝授を私もいただくことができたのが12月です。
あれから一年、たくさんの方にお点前をさせていただくことができましたが、あのときの小川先生のお点前にはまだまだ及ばない自分を感じています。また京都や福岡で、何度も小川先生のお点前を拝見する機会があり、そのお姿を思い出してみても、あの先生のお点前にはどれほどの覚悟、どれほどの愛が込められているのか、自分が伝授をいただいて、同じようにお点前をさせていただくことでわかるものがあります。
「ただのお茶の先生とは違う(ただのお茶の指導ではだめ)」というキーワードをいただき、小川先生のお姿を思い出しながら日々自分と向き合いますが、まだはっきりと答えを掴めずにいます。
そんな中、今年は自然の力にご縁をいただき、たくさんの時間を共に過ごした友人の死を経験しました。
小さな公民館で二人だけでお稽古したのが最期のお稽古となりました。
亡くなる二日前に彼女の自宅を訪問し、そこで小川先生にお電話させていただき、小川先生の愛のお話と浄化を側で聞かせていただきました。最期まで、彼女の魂のため、厳しくお話しくださる小川先生の愛、慰めの言葉の方が耳障り良く、口にしやすいものですが、「魂を宿して死ぬ」その最期のためにお話しくださり、浄化くださいました。
その場に立ち会わせていただきながら、私自身が「感謝」「覚悟」をまだまだわかっていない自分をつきつけられました。友人の最期の時間は私にたくさんの気づきを与えてくれました。
友人は最期まで小川先生から魂の看取りをいただき、魂を宿して旅立ちました。
実感も何もないまま、その後、鳥取や京都のお茶室で彼女のことも何度か話に出ることがありました。そのお茶室で、私には不思議なことがありました。
写真の紅葉のお茶碗、外側に華やかな紅葉の絵柄があり、どう見てもこちらが正面、それなのに鳥取でも京都でもなぜか運びの方が正面を逆にお客様に出されたのです。
なぜかなと不思議に思いながら、京都のお茶室でお茶碗を手に取って皆さんに正面を説明していると、不調法にもお茶碗が手から転がったのです。
それを見た田子川先生が「そのお茶碗、何かにつながってますね。Nさん(亡くなった友人)というお伝えになる」と。
実は、最後に彼女の自宅を訪問した際、一服お点てしようとこのお茶碗を持参しました。今年の紅葉は終わりかけているけれど、来年はみんなと一緒に紅葉を見ながらお茶でも…とそんな心でした。
結局お茶を点てるチャンスはなく、お茶碗も彼女に見せたわけではなかったのですが、見えない世界は不思議です。
彼女に点てられなかった一服を思いながら、京都のお茶室で点てさせていただきました。一期一会、そして命の価値観を思う一服となりました。
今、この瞬間をどう生き、生かされている命に感謝しかないと身をもって教えてくれた友人に「ありがとう」を伝えることができました。
これからも魂の学びをもっと深め、真に生き、一期一会、命の価値観を伝えていきたいと思います。
今日も生かしていただき、ありがとうございます。
神様にいっぱいいっぱい感謝です。
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